• 正月日記

    こんにちは。継続支援セコンドのメンバーA.Hです。

    今年の冬は雪不足で北海道の十勝地方などは雪が積もっていないそうで、畑が砂嵐になってしまったところもありますが、私の親は除雪しないから楽だと言っていました。

     

    お正月は家でゆっくりしていました。テレビで駅伝がやっていて、母は夢中になって観ていたようです。サッカーとかラグビーとか大きな大会が集中しているので、スポーツ好きの人にとっては天国みたいだったのではないでしょうか。

    自分はというと、スポーツ観戦は夢中になって観るという感じではないです。なぜかといいますと、選手全員年下だからです。なんかさめて観てしまいます。選手が年上とか同年代だったときはよく観ていました。ゴルフとかは「ジャンボ尾〇」とか「青〇功」とかの時代はよかったです。現在は石〇遼とか若い人たちが活躍しているので、さめてしまいます。

    F1グランプリも中〇悟の時代はテレビを録画して何回も観ていました。アイルト〇セナのころまではよかったのですが、シュー〇ッハの時代になると面白くなくなりました。

    お正月は自分はインターネットでもやっていたんだろうか。

    あまり覚えていません。

    正月は1回外出しました。ステーキを生まれて初めて食べました。初めてなので緊張しまして、肉がのどにつっかかって死ぬのではないかと思いましたが、大丈夫でした。

    連休最後の日はインターネットで映画鑑賞しまして、最後だけ充実していました。

     

    それでは写真です。どうぞ。

    信号機を後ろから撮りました。

    街の中で目立たないように塗装されています。

    警察もいろいろ配慮しているのですね。

     

    それでは次の写真です。

    札幌駅バスターミナルにあるじょうてつバスのバス停です。

    じょうてつバスという独特の名前は昔、定山渓鉄道という私鉄があったらしく、鉄道が廃止されたのでバスを走らせているみたいです。

    私は1回もじょうてつバスに乗ったことはないです。自分の住んでいる地域ではJR北海道バスと中央バスしか走っていないです。いつか乗りたいですね。

     

    最後の写真です。

    琴似には、昔、屯田兵の村がありました。

    屯田兵の住居が今も一軒保存してあります。

    開拓時代、北海道をロシアから守るために、屯田兵という軍隊を作ったんだそうです。

    屯田兵の村は全道各地にあったそうです。

    屯田兵がいなかったら、北海道はロシア領になっていたかもしれません。

    ロシア領になっていたら、私たちもロシア民謡を歌っていたかもしれません。

    ピロシキとかを食べていたかもしれません。

    ウォッカで晩酌とかしていたかもしれません。

     

    今回もご覧いただきありがとうございました。?