-
YOUは何しにセコンドへ!? vol.2 ~イラスト担当森田編~
昨日のサビ管松賀君からのバトンです。
みんなより長く生きてるのでなるべくはしょっていきます!幼少の頃大病をして長く入院し、スポーツも勉強もまるでできなかった私。唯一褒めてもらえることが絵を描くことでした。
ペンだこで指の形が変わるほど絵ばかり描いて、高校進学は漫研のあるところを志望したのですが当然学力が足らず、なんとか推薦してもらい入学。
もちろんデジタルのない時代でしたので週末はアルバイトをして画材を買い、よく徹夜して漫画を描いてましたね。若いって素晴らしい 。卒業後はバイトの延長で飲食業に就いたのですが、描くことをあきらめきれず漫画を投稿し続けるもボロクソに評価され(今思えば世間知らずで一人よがり。正しい評価でした)絵の道をあきらめ、調理師免許を取得しました。
運よく特別支援学校の調理師となり、そこで初めて心身障害を持つ方と出会います。
結婚し退職後、調理の技術を活かし飲食のA型事業所の指導員となり、メンバー皆さんに育ててもらいました。転機は父の死でした。末期の癌で痛がる父に対して着脱介助も食事の介助もしてあげられない。ひどく後悔して父の死後、すぐにヘルパー2級を受講。重症心身障害児の介助やガイドヘルプの仕事につき、その後介護福祉士を取得。
主人の転勤で札幌の地に落ち着いて、かねてから希望していた身体障害者の身体介護に当たりたい、と面接を受けるも「身体が小さい、送迎車(ハイエース)の運転に不安がある」との理由で不採用。この時、この施設以外考えられなかったので頭が真っ白になりましたね。その後冷静になって考え、「好きで、得意で、福祉に関われる仕事を探そう」と改めて職探しをしていた時に見つけたのがセコンドの求人。
実はその数年前から人に頼まれてデジタルでイラストを描くようになっていました。
今思うとあのタイミングで不採用になったのはセコンドに来るためだったのかもしれない、と本気で思います。まるで勉強も運動もできなくて、一度はあきらめた絵の道につくことになるとは人生不思議なものです。しかも福祉の業界なのですから 。
余談なのですが、私がまだ福祉に関わる以前の高校生時分、クラスにMちゃんというおとなしい感じの子がいました。
女子高にありがちな悪ノリで事あるごとにからかわれ、でもMちゃんは困ったような顔でニコニコしているのです。
その日、日直だったMちゃんは売店に注文するお弁当の集計をしていたのですがお金が合わない。か細い声で「の、のり弁当頼んだ人~」と声を上げるのですが、悪ノリ部隊は悪態をつくばかり。
相変わらず困った顔でニコニコするMちゃん、Mちゃんと普段いっしょにいる仲良しの子も手助けしません。
このままでは弁当の注文ができないと思った私はMちゃんの代わりに声をあげ、いっしょに弁当の集計をしました。それは卒業までずっと続きました。今思うと、Mちゃんには何かしらの発達障害があったのかもしれません。
あの日から今日までずっと、私の心の中にはMちゃんがいます。もしかしたらこれがきっかけになり、自分の中のどこかに困っている人の手助けをしてあげたいという思いが芽生えたのかもしれません。運命的にセコンドに来ることとなった私。あの時Mちゃんと関わった時に感じた思いを大事にしながら、これからもずっと、セコンドの皆様を全力で支援し続けたいと思います。