• 「反芸術的」な芸術?

    書いている当人は、芸術が何なのか語れません。去年、ゴッホ展を見に行ったことがありますが、何も分かりませんでした。現在、話題になっている愛知県で行われた「表現の不自由展」については、不手際があったそうで、どうやら「昭和天皇」と「慰安婦像」がキーワードだそうです。詳しくはわかりません。どちらも政治的なイメージを持つ作品なのかもしれませんが、日本人にはピリピリさせる不安な要素であることには間違いないでしょう。
    憲法には「表現の自由」は保障されているそうです。ですが、「自由」という耳心地に良い響きも特に凶暴性を帯びていることは薄々感じるようになります。誰かの「自由」により、他人の人権を侵害することはよくあるからです。地球はみんなのものであるなら、「自由」のために奪い合う戦争になることは歴史から学べることでしょう。
    話は戻りますが、芸術は「表現の自由」を行使します。だから、政治的な、もしくは宗教的なタブーにどうしても接触する恐れは十分あることだと思います。今回の事件では、SNSで「これがアートなら、この世界は狂っている。」とコメントしている方が多くいたのが印象的でした。それぐらい、ネットでは反響が大きいことは驚きました。
    それにしても、「芸術」とは一体何なんでしょう?「芸術」らしい芸術しか、世の中に存在しないのでしょうか?人の作品を見て、「これが芸術だ!」と決める絶対的な存在はいるのでしょうか?よく「これは芸術性が高い。」と評論家が語る場面はテレビで見たことがありますが、いまいち良く分からないことだらけです。ですから、個人的には芸術センスがないことは正直に認めようと思います。
    しかし、よくよく考えてみると、いくら芸術性が高かろうと低かろうと0か100でない限り、論理的に「反芸術性」があるといわざるを得ないのです。皆さん、完璧な「円」をみたことがありますか?多分ないでしょう。なぜなら、円周率が無限だからです。「円」は幾何学的な概念に過ぎないのです。ですから、実際は「円状」の物体を見て、円だと人間が言っているのです。「点」も「線」も然りです。
    つまり、何が言いたいかというと、アートにも反アート的な分子が存在していると考えてもいいと思います。結局、主観的なものなのです。よく人に「君らしくないな~」と言われる時、どう思いますか?まるで、「反自分的」な要素があるかのようで、願わくば何%自分らしくないのか数値化してほしいものです。
    最後に、今回の作品をアートとみなされず、危険分子とされた作者や支持している方は「検閲」と思っているかもしれませんが、あまりにも前衛的すぎたのかもしれません。大方、「自由と勝手は違う」と批判されることは多いでしょうが、もし表現したいなら、国に忖度する作品にするか、「自由」のために闘うしかありません。